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流薔園

.20 2010 comment(0) trackback(0)
最近読んでいる本。
幻想文学の名作中の名作。
中井英夫(1922~1993)の「とらんぷ譚」シリーズ。

2010111619300000.jpg



去年から今年にかけて講談社の文庫で新装版で出たものを発見。
二作目の「悪夢の骨牌」だけ無かったのだけど。


さっき、一作目の「幻想博物館」を読み終えた。
めくるめく幻想世界…
狂っているのは誰なのか。
どこまでが妄想なのか、誰の夢なのか、はたまた全ては虚構の世界のものなのか…

中井英夫、本当に面白い。
星新一とか好きな人にも、また推理物が好きな人にも、E.A.ポーとかシュヴァンクマイエルとか怪奇物が好きな人にも、勿論耽美幻想好きな人にもとにかくお勧めします。


ちなみに、「流薔園」とは、作中で出てくる精神病院の名前であり、中井英夫が実際に住んでいた居所の名前でもあるらしい。

epicurean

.08 2010 comment(0) trackback(0)
今日は本を読んでいた。 「快楽主義の哲学」澁澤龍彦
やはりこの人は良いなぁと思う。
これなんて、もう1960年ころに書かれた作品で、その時代の所謂「今時の人々」に対する喝!みたいな感じなのだろうと思うんだけど、でも今読んでもあぁそうだよな、と感じる。


特に好きなところ。

「いかに死ぬかという問題は、古代ギリシアの倫理哲学者たちの最大の関心事でした。(中略)ところで、近代の生産性社会は、いかに生きるかということばかりに意を用い、死の想念を生活の連続のなかから締め出すことに汲々としています。(中略)人間に残された最後の貴重な財産は、じつは生命ではなくて、死なのではないか、という考えが以前からわたしにはあります。」

memento mori...



「他人の目に映る自分の姿を、必要以上に気にすることはありません。他人に誤解されることを、恐れる必要は少しもありません。「おれを誤解したやつは、勝手に誤解するがいい。」このくらいの突っぱねた精神が必要です。(中略)むしろ、すすんで相手に誤解の材料をいっぱい提供してやり、自分の周りに誤解の煙幕をもうもうと張りめぐらして、その煙幕のなかに、自分の真実の姿をかくしてしまったほうが、はるかに気がきいているではありませんか。こういうやり方を「韜晦」(ミスティフィカション)といいます。まぁ、一種の忍法ですね。」

澁澤さんこそ、韜晦のプロフェッショナルだったのではないかと。
ユーモアの効いている文章がまたいい!
このあと「正体のわからない人物というのは、魅力的なものです。世間なんて甘いもので、いつも黒眼鏡をかけている正体不明の人物には、なんとなく複雑な陰翳がありそうな気がして、つい敬意を表してしまうのです。」
とくるから、また面白い。



「むかしのストア哲学者は、このような周囲の影響によってかき乱されない平穏な心の常態を「アタラクシア」と呼び、これを賢者の最高の理想と考えました。他人がなんと言おうと、世間がいかに騒ごうと、つねに晴れ晴れとした心を保ち、平然として自分の好きなことをやっていられる状態です。
フランスの悪魔派の詩人ボードレールが理想とした状態も、やはりこれに似た、一種の自我崇拝ともいうべき態度でした。ボードレールは、これをダンディズムと名付けました。ふつう、ダンディズムというと、「しゃれ者」とか「伊達者」とかいう意味になりますが、ボードレールはこの言葉を洗練させて、いわば「精神の貴族主義」とでもいうべき意味に純化させたのです。」

ダンディズム、精神の貴族主義、自我崇拝…
そうそうそう!そうだ!
精神的貴族であれ。
「精神のオールマイティ、自我の優越を守り抜こうとする思想」
何だか、とても腑に落ちる!


ギリシア時代の昔にあった二つの思想「ストア派」と「エピクロス派」
これらはそれぞれ「ストイック」「エピキュリアン」の語源であり、だから「禁欲主義」「快楽主義」と呼ばれ、正反対に位置するように思えるけれど、実はよく似ているのだそう。
双方とも、「自然と調和して生き、なにものにもわずらわされない平穏な心の状態、すなわちアタラクシアに達することを求めていた」のであって、到達する場所は同じだったと。

色のこと

.18 2010 comment(0) trackback(0)
久々に10時間も眠った!
少しは疲れが取れたかな…
起きて、Ockgehemのミサ曲を聴きながらお風呂。
そしてEnglish Breakfastのミルクティーと、読書。


森茉莉の著作には要所要所で美しい色合いが沢山出てくる。
彼女独自の美の感性を垣間見る瞬間。

「私の美の世界」で語られている、彼女流の石鹸の選び方。
”まず色である”
檸檬色、オリーブ色、菫色、濃い薔薇色、白、薄緑…

この色の羅列を見ただけでも素敵。
その次に、”私は菫の花と恋人のようなものである”と続くから、本当にこの人は凄い。


「橙の色を一寸燻ませた色(これは父の埃及葉巻の箱についていたリボンの色で、私はそれを煙草色と言っていて、最も楽しくなる色である)、柔らかな、ミルクを混ぜたような濃い薔薇色、淡い檸檬色、淡い青竹色(全然黄色みのない、冴えた清々しい薄緑である)…」


最も楽しくなる色、という言葉に惹かれる。
美しい色と言うのは、想像力と創造力をかき立ててくれる気がする。

例えば、

シャンパンゴールド
ブルーグレー
ワインレッド
バーガンディ
ロイヤルブルー
カメリア
シナモン
ヘリオトロープ
オールドローズ
ミッドナイトブルー
オパールグリーン
エクリュベージュ
モーヴ

etc……

名前を聞いただけで恍惚としてしまうような、そんな魅力的な色が好き。

服、そして女性であること

.14 2010 comment(0) trackback(0)
この間購入した本。
「たかが服、されど服  ヨウジヤマモト論」  鷲田清一 著

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服を着るという事、ファッションとは…?
ということは自分なりにいつも考えているのだけど。
この本は、そのファッション、服、を”作る側”の話。

山本耀司さんと言う人…本当に興味深い。
この人もまた、現代に生きる大物。
服作りに於ける彼の思うこと。
そして女について。
とてもはっとさせられる。

自分が追い求める女性性との符号。



「モードという制度から下りようとするモード、あるいは、モードの外をめがけるモードとでも言えばいいのだろうか。服で意味やイメージ(~らしさ)を演出するのではなく、むしろ可能な限り服から意味を削ぎ落として(余計な意味や感情がつきまとうのが嫌だから黒の生地を使うのだ、と山本耀司は言う)服がその人自身であるような服、「服を見ただけで着ている人がわかるような服」を作ること。」

こういうことを求めている人が居るのだ…!

「時間をデザインしたい、と山本耀司はつぶやく。」


そして彼のドレスメイキング、そこから爪弾きだされる”女性”の姿、在り方。

「横姿、あるいはちょっと斜め後ろから見た女の人の姿に、妙な感動を覚えます。過ぎていくもの、通り過ぎていくものに対する追いすがるような想い。ミッシングな感覚と言ってもいい。残り香もそう。何かせつなさみたいな。過ぎ去りゆくものに誘惑されて…みたいなことが、いつも僕の中の女性に対するひとつの憧れとしてあるのです。(中略)だから背中。服というものは、前からではなく、後ろから作っていくものだとぼくは思う。後ろは服の支え、それがしっかりしていないと服は成り立たない。」

「山本耀司が思いをはせている、<女>という存在の圧倒的な「リアル」には、いつもこうした(光ではなく)翳りが射している。山本の黒とは、色という色をすべて吸い込む抱擁の黒であるとともに、この翳りの深さでもあるのだ。存在の乏しさを服で覆い、埋めるのではなく、存在の乏しさが乏しいままでそこに醸し出すエレガンス(日本語では「いき」。が、それはむしろ「シック」に近いかもしれない)。イメージではなく、存在が幸少なきままに燻しだすエレガンスが問題なのだ。」


女、女性である、ということ…
どういうことなのか。
女の持つ翳り…
エレガンス、シック、「粋」
凛とした強さ、官能的な柔らかさ、しなやかさ、深い断念…





Sayoko Yamaguchi

.19 2009 comment(0) trackback(0)
この間、母から譲り受けた素敵な本。

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昭和58年の本。「小夜子の魅力学。」

私、山口小夜子さんが大好きなのです。
そうしたら、母も好きだったらしく、「先日実家に帰ったらこんな本が出てきたから送るよ」と。
さすが親子・・・好みの傾向が本当に似ている。
方向性が全く一緒だ。


70年代、80年代を代表する世界のトップモデル。
1972年に、アジア系として初めてパリコレに出場し、77年にはアジア人初の「世界のトップモデル6人」に選ばれた。
やたらと”外国人”を意識していたその頃の日本で、黒髪おかっぱのアジアンビューティを貫き、結果として世界を代表するモデルとなった。
格好良い。

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とにかく素敵で美しくて、私のこうなりたい、という想いを具現化したかのような方。
コンテンポラリーダンスもお好きで自分でも踊っていたそうで、何だかそういういろいろなところで繋がりを感じてしまう。
2007年に急逝してしまわれたのだけど・・・。


資生堂の専属モデルでもあった小夜子さん。
なんと、資生堂CMの動画を発見。



本当に美しい。
この空間、この雰囲気を作り出せることにただただ感嘆する。
他にも幾つかCMがアップされていたので、是非見てみてください。
そもそもこの頃の資生堂の映像が美しい。
作品として完成されているような気がする。

尊敬する人。
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