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epicurean

.08 2010 comment(0) trackback(0)
今日は本を読んでいた。 「快楽主義の哲学」澁澤龍彦
やはりこの人は良いなぁと思う。
これなんて、もう1960年ころに書かれた作品で、その時代の所謂「今時の人々」に対する喝!みたいな感じなのだろうと思うんだけど、でも今読んでもあぁそうだよな、と感じる。


特に好きなところ。

「いかに死ぬかという問題は、古代ギリシアの倫理哲学者たちの最大の関心事でした。(中略)ところで、近代の生産性社会は、いかに生きるかということばかりに意を用い、死の想念を生活の連続のなかから締め出すことに汲々としています。(中略)人間に残された最後の貴重な財産は、じつは生命ではなくて、死なのではないか、という考えが以前からわたしにはあります。」

memento mori...



「他人の目に映る自分の姿を、必要以上に気にすることはありません。他人に誤解されることを、恐れる必要は少しもありません。「おれを誤解したやつは、勝手に誤解するがいい。」このくらいの突っぱねた精神が必要です。(中略)むしろ、すすんで相手に誤解の材料をいっぱい提供してやり、自分の周りに誤解の煙幕をもうもうと張りめぐらして、その煙幕のなかに、自分の真実の姿をかくしてしまったほうが、はるかに気がきいているではありませんか。こういうやり方を「韜晦」(ミスティフィカション)といいます。まぁ、一種の忍法ですね。」

澁澤さんこそ、韜晦のプロフェッショナルだったのではないかと。
ユーモアの効いている文章がまたいい!
このあと「正体のわからない人物というのは、魅力的なものです。世間なんて甘いもので、いつも黒眼鏡をかけている正体不明の人物には、なんとなく複雑な陰翳がありそうな気がして、つい敬意を表してしまうのです。」
とくるから、また面白い。



「むかしのストア哲学者は、このような周囲の影響によってかき乱されない平穏な心の常態を「アタラクシア」と呼び、これを賢者の最高の理想と考えました。他人がなんと言おうと、世間がいかに騒ごうと、つねに晴れ晴れとした心を保ち、平然として自分の好きなことをやっていられる状態です。
フランスの悪魔派の詩人ボードレールが理想とした状態も、やはりこれに似た、一種の自我崇拝ともいうべき態度でした。ボードレールは、これをダンディズムと名付けました。ふつう、ダンディズムというと、「しゃれ者」とか「伊達者」とかいう意味になりますが、ボードレールはこの言葉を洗練させて、いわば「精神の貴族主義」とでもいうべき意味に純化させたのです。」

ダンディズム、精神の貴族主義、自我崇拝…
そうそうそう!そうだ!
精神的貴族であれ。
「精神のオールマイティ、自我の優越を守り抜こうとする思想」
何だか、とても腑に落ちる!


ギリシア時代の昔にあった二つの思想「ストア派」と「エピクロス派」
これらはそれぞれ「ストイック」「エピキュリアン」の語源であり、だから「禁欲主義」「快楽主義」と呼ばれ、正反対に位置するように思えるけれど、実はよく似ているのだそう。
双方とも、「自然と調和して生き、なにものにもわずらわされない平穏な心の状態、すなわちアタラクシアに達することを求めていた」のであって、到達する場所は同じだったと。

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