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服、そして女性であること

.14 2010 comment(0) trackback(0)
この間購入した本。
「たかが服、されど服  ヨウジヤマモト論」  鷲田清一 著

2010091422480000.jpg



服を着るという事、ファッションとは…?
ということは自分なりにいつも考えているのだけど。
この本は、そのファッション、服、を”作る側”の話。

山本耀司さんと言う人…本当に興味深い。
この人もまた、現代に生きる大物。
服作りに於ける彼の思うこと。
そして女について。
とてもはっとさせられる。

自分が追い求める女性性との符号。



「モードという制度から下りようとするモード、あるいは、モードの外をめがけるモードとでも言えばいいのだろうか。服で意味やイメージ(~らしさ)を演出するのではなく、むしろ可能な限り服から意味を削ぎ落として(余計な意味や感情がつきまとうのが嫌だから黒の生地を使うのだ、と山本耀司は言う)服がその人自身であるような服、「服を見ただけで着ている人がわかるような服」を作ること。」

こういうことを求めている人が居るのだ…!

「時間をデザインしたい、と山本耀司はつぶやく。」


そして彼のドレスメイキング、そこから爪弾きだされる”女性”の姿、在り方。

「横姿、あるいはちょっと斜め後ろから見た女の人の姿に、妙な感動を覚えます。過ぎていくもの、通り過ぎていくものに対する追いすがるような想い。ミッシングな感覚と言ってもいい。残り香もそう。何かせつなさみたいな。過ぎ去りゆくものに誘惑されて…みたいなことが、いつも僕の中の女性に対するひとつの憧れとしてあるのです。(中略)だから背中。服というものは、前からではなく、後ろから作っていくものだとぼくは思う。後ろは服の支え、それがしっかりしていないと服は成り立たない。」

「山本耀司が思いをはせている、<女>という存在の圧倒的な「リアル」には、いつもこうした(光ではなく)翳りが射している。山本の黒とは、色という色をすべて吸い込む抱擁の黒であるとともに、この翳りの深さでもあるのだ。存在の乏しさを服で覆い、埋めるのではなく、存在の乏しさが乏しいままでそこに醸し出すエレガンス(日本語では「いき」。が、それはむしろ「シック」に近いかもしれない)。イメージではなく、存在が幸少なきままに燻しだすエレガンスが問題なのだ。」


女、女性である、ということ…
どういうことなのか。
女の持つ翳り…
エレガンス、シック、「粋」
凛とした強さ、官能的な柔らかさ、しなやかさ、深い断念…





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