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中世と祈り

.02 2009 comment(0) trackback(0)
吉祥寺の古本屋さんで、素敵な本を買った。
その名も「中世 祈りの造形」。
山崎 脩さんという彫刻家の方が著した本で、1996年のものなので、そう古くはないのだけど、カラーの写真が数多く載っていて、とても面白い。
フランス・スペイン・ポルトガルの、主にロマネスクからゴシック期の教会・宗教的建築物について触れてあって、それらの美しく荘厳さ漂う写真をいろいろ見ることができる。

例えば、古い壁画、告解室、回廊の柱、更に柱頭部分の彫刻、ドームの天井、ステンドグラスに薔薇窓。
教会自体の美しい写真も多くある。

この時代の教会というものは、本当に美しい。
いくら見ていても、見飽きることのないような美があると思う。
そして、この本を読んでいてわかったことだけど、その理由の一つとして、建築の中に”祈り”があるのではないだろうか。
精神性、確固たる拠り所、つまり祈りの心、それがあったからこそ、あのようなものが生まれたのだろうな、と思う。


この著者の方の言葉で、心に響くものが多くあったので、幾つか載せさせていただきます。


「考えてみると過去において、”祈り”以外の造形があったろうか。
二十世紀頃に至りすべてから、つまり神々からも解放され、あたかも芸術のための芸術に我々はしばし酔った。
しかし、そこにはまだ完全には捨て切れない祈りなるものの存在は感じられた。」

「いわゆる現代のカルトに感動しないのは、その祈りの中に文化がないからだと言ってもいい。
否、何らかは在るではないかと言えるならば、そこにある造形表現はすべてに必然はなく、借り物であり、焼きなましにすぎない。
逆に言うならばその造形を見れば、祈りそのものの内容の深度までもいかに中途半端で、いい加減なものであるかも判明できる。
少なくとも真の祈りは真の造形を生んだ。
それだからこそ我々はそこに感動を覚えるのだ。」

「情報の過敏と流通の過剰は、単なる物珍しさと上っ面だけの変化を招き、真に心を打つ想像など稀
になってしまった。
むしろ逆に乏しい情報と緩慢な流通の中での方が、そこに在る人をしてすべてに忠実な真のリアリティを生んできたとも言える。
加えて余りの喧騒と満たされ過ぎた豊穣には怠惰がはびこり、意欲さえ喪失して、何物にも好奇心も抱かなくなってしまった。」


「古代は遠きに過ぎ、近世はカオスに目覚め、現代は喧騒でしかない。そんななかで中世には原寸大の人間の喜怒哀楽が、むしろ親しみを持って眺められる。」



他にも、教会の石造りの暗さと祈りの必然性など、なるほどと思える言葉が多くあった。
現代に対する見方は、全くもって同意、と思う。




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