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Like, of the flow of a river

.25 2011 独り言 comment(0) trackback(0)
特筆するほどのことも無く過ぎていく日々。
生きるにはお金が必要です…
お金と愛とか天秤にかけるなんて全く変な話だと思う。
愛があるからこそお金が要るんじゃない!w
本当にそう思う。

人生に於いてどこまで悪足掻き出来るのか知らないけれども、諸々の無謀が可能な内はとりあえずひたすらじたばたしてようと思う。
何かもうそれしか方法が無い気がする。
そしていつか、ああもうこれ以上は無理だなーとなったその時には出家しようかと思いますw
神道もキリスト教も捨て難いのだけど、人の世の常を悟り、研ぎ澄まされた精神的境地を望むのだったらやはり仏教だなと。
涅槃寂静。素晴らしいところであろう。

…ということを結構真剣に考えているのだけど、まぁそんな時間があるのならもっと今のうちに生産的なことをしておいた方が絶対後悔しないで済むのだろうね。






川が好き。
海も良いけれど、川の流れのあの感じ…、良いなと思う。
海には海辺があるけれど、川には川岸があって、必ずこちら側とあちら側がある。
川を渡らないとあちら側には行けない。
明確に分かたれた境界線。
そこから三途の川、彼岸と此岸の思想などが生まれたのだろうと思う。
川はある種の結界の役割も果たしているということ。
まぁそれは川に限らず、水という物質全体に言えることかもしれない。
海は国と国、大陸と大陸を隔てている。
濠は城郭をぐるっと取り囲んでいる。
古代の豪族の墓の周囲にも二重、三重と濠が造られている。
水によって張られた緊張感、容易に足を踏み入れることを不可能とさせる感覚。
それは本能的なものなのか。

そう、川が好きなのは、その”境界”のイメージがよりわかりやすく表されているからかもしれない。
川の流れには必ず線が生まれる。
水の描く境界線。
そこはかとない緊張感を孕んで流れていく。
とどまることなく流れる。それは時間とも類似するのではないか。
時間とは川のようなものなのだろうか。


最上川も信濃川も鴨川も好き。
住む土地にはいつも美しい川がある。
そういえば古代文明は大河沿いに育っていったと習った。
人類の母なる川。

長江とか黄河の最上流の方へ行ってみたい。


2010100417050000.jpg








前記事に拍手下さった方、ありがとうございました!
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屍鬼

.15 2011 comment(0) trackback(0)
先程読み終えました、小野不由美「屍鬼」。

凄いボリュームだった...文庫で全五巻、2500ページ余り。
しかしそれほどの量でありながらも、何故か読み進める手を止めることが出来ず、読んでいる間は何も手につかず、只々ひたすらにそわそわし、ザワザワし、起こっていることを少しでも知るために、何が何でも続きを知らねばならないという衝動に駆られる...

そんな意味でも恐ろしい作品でした、本当に。
何というか、ただのホラーとかサスペンスとか、そういう括りで片付けるには余りにも突出しているというか、色々な要素を含んでいるし、そして色々なことを考えさせる。
考えずにはいられないほど。

人が信じるものというのは一体何なのだろうか。
それは果たして他人も信じているものなのだろうか。
そして自分しか信じていないものなどは信ずるに値するものなのだろうか。

自分が信じているものを否定されたとき、また明らかに自らと異なる事象が表出したとき、人はどういった思考をし、どんな行動を取るのだろうか。
そしてそんな分かり合えない他人にも認められたいという衝動、好かれたい、褒められたいという衝動というのはどんなものなのだろうか。


宗教的な思考にも繋がりそうなのだけど。
静信の思うところはわからなくもない、がこれはやはり異端の考えなのかもしれない。
理解するのはとても難しい...
しかしカインとアベルになぞらえつつ、また静信の手によるものとする挿入話によって何がしかのヒントとリンク先を与えつつ展開していく、という物語の進行方法には本当に敬服致します。

前記事でも散々書いているような気もするけれど、本当に凄い。小野不由美さん。


で、静信はかなり難しい役どころだと思うけれど、敏夫はやっぱり良いよねw
十二国記の後だからか、延王尚隆をやたらと彷彿とさせ、それがまた良い。
最後も特に明記されてはいないけれど、彼は白衣姿で紫煙を燻らせながら、過去という超級の重荷を背負いつつ生きていてくれるような気がします。



この絶対的な異端の存在、というのが重要な役割を占めているように思う。
異質なるもの、この社会にどうやっても交わることの出来ない孤高にして異形の存在。
それって何なんだろうな。



とにかく凄かった。
ちょっと漫画も見てみたい気もする。アニメも。
でも本当に凄い、これを書くのに一体どれだけの労力、というか精神力を費やしただろうかと思うと...
改めて頭が下がります。






前記事に拍手下さった方々、ありがとうございました!!


Twelve Kingdoms

.11 2011 comment(0) trackback(0)
気づいたら九月も終わって十月も半ば近く。
どうしたものか。


最近、小野不由美の「十二国記」シリーズを読んだのだけど、とても面白かった。
勧められた当初は、ライトノベルなんて読むの7・8年振りだ…なんて思っていたけれど、読み始めてみるとこれがもう。物凄い。
壮大かつ緻密、完成度が高く構成もかなり考えられている。
完全な貫かれた世界観。一人一人が魅力的で活き活きとした登場人物達。

一つの異世界を創り出し、その興亡の様を描き切るという点で、指輪物語にも匹敵する超大作だと思いました。
トールキンは凄い。言語まで作ってしまったし。
でも小野不由美もかなり凄いと思う。
巧妙に張り巡らされた伏線とか。
その一つ一つが他の事象や人々に様々な関わり方をしてくる。
そして、いつしか全体でもって何処かへ向かっている、そんな感じ。
そう、まだ完結していないのがね…
心から新刊を望みます。この世界の結末をどんな風に迎えるのか、どんな形で答えを見せてくれるのか、本当に楽しみにしています。

何が凄いって、シリーズそのものが書かれる前の91年に出版された小説「魔性の子」の時点で、後々に通ずる物のかなりの部分が既に出来上がっている、ということに驚いた。
これを書いたときに、どれぐらいのことが考えられていたんだろうか…
只者ではない。



小野不由美さんって、「屍鬼」の人だったのね。
「屍鬼」は当然ながらアニメの噂は知っていて(前期OPと後期EDがBUCK-TICK、後期OPがKanon×Kanonじゃ知らないはずが無い)気にはなっていて。
でも小説がまず面白そうなので、これから読んでみるところ。



景麒良い。
常に景麒には「主上!」って言って憮然として溜息ついていて欲しい…もうそれだけで満足w
あと泰麒にはかなり注目しています。
本当に新刊出て欲しい。

「ガラスの仮面」と「チェーザレ」に続く、第三の「どうかお願いだから結末が見届けられますように…」的なものが出来てしまった。
あぁ「チェーザレ」も心配…
考えてみたら、作者の名前が両方とも「ふゆみ」であるという謎の一致。




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