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言語魔術

.22 2010 comment(0) trackback(0)
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ここのところ、すっかり中井英夫の虜。
二作目の「悪夢の骨牌」も発見した。これは泉鏡花文学賞を受賞しているのだそう。
二作目は少しSFチックなテイストもあってまた面白い!
 


「決闘・金狼・愛餐・緑盲・幻日・袋小路・紫水晶・歪景鏡・贋法王・挽歌集・首天使・三角帆・宝石箱・帰休兵・火喰鳥・花火師・水蛇類・送風塔・冷水瓶・小林檎・逃亡兵・人像柱・水飼い場・聖木曜日・耳付の壺・神怒宣告・囚人名簿・女曲馬師・舌ひらめ・放浪楽人・夜見の司・草売り女・二人椅子・表情喪失症・とらんぷ屋・埃及の舞姫・西班牙の法官・ボンボン容器・貴族制反対者・土耳古スリッパ・仏蘭西の古金貨・露西亜の四輪馬車等々々……」       (「幻想博物館」牧神の春)


「地上での探索に疲れ、ここに来てもまだ捜し続けなければならぬとは因果なことだが、それほどにこの館は広くいくつもの棟にわかれ、間を埋め尽くしているのは黒い森であり陰鬱な下生えの繁った庭園である。それらは地表のように明確な物の象があるわけではないが、おおよそは古びた中世の城館を思ってもらえばよい。アルローブを設けた長い廊下や突当りごとの大鏡と燭台。それらは近づくにつれてゆらめきそのまま影の炎となって実体を伴わない。」       (「悪夢の骨牌」アケロンの流れの果てに)


美しい言葉…美しい文章。
「ことばの錬金術師」の名にも大いに頷いてしまう。



今日見つけた、オーロラと月のカード。
色が綺麗。

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前回の記事に拍手を下さった方、ありがとうございました!!

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流薔園

.20 2010 comment(0) trackback(0)
最近読んでいる本。
幻想文学の名作中の名作。
中井英夫(1922~1993)の「とらんぷ譚」シリーズ。

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去年から今年にかけて講談社の文庫で新装版で出たものを発見。
二作目の「悪夢の骨牌」だけ無かったのだけど。


さっき、一作目の「幻想博物館」を読み終えた。
めくるめく幻想世界…
狂っているのは誰なのか。
どこまでが妄想なのか、誰の夢なのか、はたまた全ては虚構の世界のものなのか…

中井英夫、本当に面白い。
星新一とか好きな人にも、また推理物が好きな人にも、E.A.ポーとかシュヴァンクマイエルとか怪奇物が好きな人にも、勿論耽美幻想好きな人にもとにかくお勧めします。


ちなみに、「流薔園」とは、作中で出てくる精神病院の名前であり、中井英夫が実際に住んでいた居所の名前でもあるらしい。

ジョゼフ・コーネル

.09 2010 独り言 comment(0) trackback(0)
アメリカのシュルレアリスト、ジョゼフ・コーネル(1903~1972)
余り同時代の他のシュルレアリスト達と交流を持たず、とてもシャイだったと言われている。
箱の中にオブジェを陳列した作品を作り続けた人。

選び出され配列されたそれらのオブジェは、まるで不可思議な標本か、彼のコレクション・ボックス、もしくはお気に入りの宝箱のよう。
箱の中という限定された空間に表現されたミクロコスモス。

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閉鎖した世界というのは、いつだって素敵。

epicurean

.08 2010 comment(0) trackback(0)
今日は本を読んでいた。 「快楽主義の哲学」澁澤龍彦
やはりこの人は良いなぁと思う。
これなんて、もう1960年ころに書かれた作品で、その時代の所謂「今時の人々」に対する喝!みたいな感じなのだろうと思うんだけど、でも今読んでもあぁそうだよな、と感じる。


特に好きなところ。

「いかに死ぬかという問題は、古代ギリシアの倫理哲学者たちの最大の関心事でした。(中略)ところで、近代の生産性社会は、いかに生きるかということばかりに意を用い、死の想念を生活の連続のなかから締め出すことに汲々としています。(中略)人間に残された最後の貴重な財産は、じつは生命ではなくて、死なのではないか、という考えが以前からわたしにはあります。」

memento mori...



「他人の目に映る自分の姿を、必要以上に気にすることはありません。他人に誤解されることを、恐れる必要は少しもありません。「おれを誤解したやつは、勝手に誤解するがいい。」このくらいの突っぱねた精神が必要です。(中略)むしろ、すすんで相手に誤解の材料をいっぱい提供してやり、自分の周りに誤解の煙幕をもうもうと張りめぐらして、その煙幕のなかに、自分の真実の姿をかくしてしまったほうが、はるかに気がきいているではありませんか。こういうやり方を「韜晦」(ミスティフィカション)といいます。まぁ、一種の忍法ですね。」

澁澤さんこそ、韜晦のプロフェッショナルだったのではないかと。
ユーモアの効いている文章がまたいい!
このあと「正体のわからない人物というのは、魅力的なものです。世間なんて甘いもので、いつも黒眼鏡をかけている正体不明の人物には、なんとなく複雑な陰翳がありそうな気がして、つい敬意を表してしまうのです。」
とくるから、また面白い。



「むかしのストア哲学者は、このような周囲の影響によってかき乱されない平穏な心の常態を「アタラクシア」と呼び、これを賢者の最高の理想と考えました。他人がなんと言おうと、世間がいかに騒ごうと、つねに晴れ晴れとした心を保ち、平然として自分の好きなことをやっていられる状態です。
フランスの悪魔派の詩人ボードレールが理想とした状態も、やはりこれに似た、一種の自我崇拝ともいうべき態度でした。ボードレールは、これをダンディズムと名付けました。ふつう、ダンディズムというと、「しゃれ者」とか「伊達者」とかいう意味になりますが、ボードレールはこの言葉を洗練させて、いわば「精神の貴族主義」とでもいうべき意味に純化させたのです。」

ダンディズム、精神の貴族主義、自我崇拝…
そうそうそう!そうだ!
精神的貴族であれ。
「精神のオールマイティ、自我の優越を守り抜こうとする思想」
何だか、とても腑に落ちる!


ギリシア時代の昔にあった二つの思想「ストア派」と「エピクロス派」
これらはそれぞれ「ストイック」「エピキュリアン」の語源であり、だから「禁欲主義」「快楽主義」と呼ばれ、正反対に位置するように思えるけれど、実はよく似ているのだそう。
双方とも、「自然と調和して生き、なにものにもわずらわされない平穏な心の状態、すなわちアタラクシアに達することを求めていた」のであって、到達する場所は同じだったと。

オランダ バロック

.08 2010 音楽 comment(0) trackback(0)
6時前に起床したので、ラジオ「バロックの森」を聴きつつお風呂。

オランダの初期バロックの作曲家、スウェーリンクの楽曲が幾つか放送されていた。


Jan Pieterszoon Sweelinck(1562~1621)

バッハ以前のバロック音楽を担っていた人物。
宗教合唱曲も、チェンバロ曲もオルガン曲もとても美しい…

この曲は、チェンバロの一種、少し小型のヴァージナルという古楽器で演奏されているらしい。
曲もそうだけど、これは動画自体も素敵。




オランダバロックというと、絵画が先に思い浮かぶ。
代表的なのは、レンブラントやフェルメールといった巨匠中の巨匠。
他にも沢山画家が居たみたい。

バロックも好きだけど、その一時代前、ルネサンスに惹かれる。
中世という「神の時代」に終わりを告げた、文芸復興、人間復興、「再生の時代」
芸術に於いても、人間味というものが活き活きと描かれるようになって、美しさが再評価されるようになった時代。
ルネサンスもバロックも、当時の中心であったイタリアから始まっている。
イタリア、行ってみたい。
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