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Dragon Tatoo

.17 2012 雑記 comment(0) trackback(0)
先日、映画「ドラゴンタトゥーの女」を見に行ってきました。
映画雑誌とかで、結構前からルーニー・マーラの写真や映画評を見かけていて気になっていて。
あのハードなヴィジュアルにはやはり何となくシンパシーも感じるところがありw

そして原作の「ミレニアム」も読んだのだけど、それがまたとても面白くて。
リスベットがとにかく格好良い。
舞台がスウェーデンだというところも雰囲気が変わっていて良い。

そんなわけで見に行ったのですが、映画も凄く良かったです。
ルーニー・マーラのリスベットが最高。
余り表情を変えない、感情を極度に押し込めている感じがあって、また感情の爆発もあって。
その落差と、リスベットの奇怪な謎めいた生命体的なところ、でも意外にも普通なところの落差と。
そういういわゆる「ギャップ」こそが彼女の魅力だと思うので、その魅力が存分に出ていてとても良かった。



しかしこの映画の見所はとりあえず冒頭にある。
最強に格好良いです。
何と言うか、あれだけでも見る価値あるよねという感じ。
Led Zeppelinの「移民の歌」、あの名曲のアレンジヴァージョンがPV風に…
サイバーでドロドロでエキセントリックでヴァイオレンスな(もうわけわかんない)印象のとにかくクールな映像と共に流れるのですが、本当に最高。
鳥肌ものでした。
大音量の「移民の歌」と、大画面いっぱいに繰り広げられる映像作品。
あれだけで一作品になるハイパークオリティ。
あのミュージックビデオ欲しい。


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11月30日

.02 2011 雑記 comment(0) trackback(0)
ライブの日の雑記。


家を出る直前に、履いていこうとしていたマーチンの左足のチャックが壊れました。
がしかし、どうしてもそれを履いていきたかったが為に、苦肉の策…
安全ピンで止めてみた。

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何か、なんともいえぬ「パンク★」みたいになって大変残念な感じでした。
これ、直るのかな…無理かな…


Zepp Osakaには初めて行くので、適当に行き方を調べて電車を乗り継ぎ到着。
でも余りに無計画だった為…
はやく着き過ぎた。

ので、海を見ていました。

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それなりに気持ち良い時間を過ごせたので満足。
余り綺麗な海ではなかったけれど、船が沢山行き来して、おじさんたちが釣りをしていて。
その中でゆったりと波を眺め、地面に寝転がって雲の流れを眺め。
11月最後の日にしては暖かだったので、外が気持ち良かった。
私、男の子だったら絶対野宿とかやってたと思う。


そんな一日でした。

久々

.10 2011 雑記 comment(0) trackback(0)
お久しぶりです。
久々に文化圏に居ます。

これまでずっとTV無しではやってきたものの、ネット無しは初めて…いや高校のとき以来か。
高校生のときは、携帯電話も持ってはいけなくて…でもそれで三年過ごせたんだからなぁ。

とにかく昭和の生活を送っていました。
ネット社会の今、インターネットで調べ物などが出来ないのは少々厳しかった。
でも文化圏にいられるのも一週間だけ…


TVも無くパソコンも無く、では時間のあるときに何をしていたかと言うと、本を読んでいました。
森茉莉を再度読み漁って、ムック本みたいなのも読んで、頭の中が茉莉さんでいっぱい。
そうしたら、夢の中に鴎外が出て来たw
お父さんw
あの有名過ぎる顔写真くらいの知識しかないというのに、わざわざ私の夢に出てくるなんて…余程娘のことが気になったのだろうか、「お茉莉のことをずっと考えていてくれてありがとう」って感じだったのかなw


あと、澁澤龍彦のエッセイ「夢のある部屋」で、なかなか面白い箇所を幾つか見つけた。

「作家の稲垣足穂さんのような人の意見では、女性の美しさというものは、すべて例外なく「美少年的なもの」であって、天使的・中性的な女性こそ、もっとも美しいということになる。なるほど、そう言われてみると、イサドラ・ダンカンとかサラ・ベルナールとか、グレタ・ガルボなどといった、ミステリアスな女性の代表ともいうべき人たちの美貌には、どこか男性的な要素が加わっているような気がしないでもない。」

――― ”ミステリアスな女性について”より


「男が女装したいという願望、また女が男装したいという願望は、西洋でも日本でも大昔からあったもののようである。心理学では、このような傾向をトランスヴェスティズム(衣裳交換)またはエオニズムと呼んでいる。」

「ハヴェロック・エリスによれば、「エオニストとは、讃美の対象を模倣し、それに同化しようとする審美的属性が極端にあらわれている。人間が自分の愛するひとと一つになろうとするのは、正常なことである」と。エオニストは、男でも女でも、知能の点では水準以上であり、芸術家とか文筆家とか、その他で名声を勝ちうるひとが多いらしい。美的センスがずば抜けて高いところに、その特徴がある。いわば審美的エリートなのである。」

――― ”衣裳交換について”より

審美的エリート、って何だか素敵。
そして今は室生犀星の「女ひと」を読んでいます。
これもまた素敵。
何か最近、女性もしくは男性について考えているのです。
グレタ・ガルボもそうだけど、昔の映画女優さんは本当に美しい。
オードリー・ヘップバーンも物凄く魅力的。
でも「麗しのサブリナ」はハンフリー・ボガート扮するライナスに目が行ってしまう…
ダンディ過ぎ!
渋くて紳士で格好良すぎ。
葉巻似合いすぎ。

…閑話休題。

で、この間たまたまTVで見ることが出来た、BSの番組で坂東玉三郎がグレタ・ガルボについて語っていて、その中にも印象的な言葉があって。
「男と女、父性と母性、のどちらにも属せない哀しさが彼女のミステリアスにつながる」
「自分自身が女であることを構築して女でいるということ」
これがまた、究極の女形である玉三郎とリンクする。
”女であることを構築する”って、凄い言葉だと思って。
女性性を自らプロデュースする、ということ。
これについては考えがいがある、というか凄く引っ掛かる。

で、そうしていたら澁澤さんの著作でも同じようなことが出て来たので、あ、またこれ、と思って。
よく考えていることが、蜘蛛の巣にかかるみたいに集まってくることって、たまにあるんだけど、今まさにその状況らしい。

アンドロギュノス的存在。
でもそれって、やっぱり人間として、そして生物として、究極の状態なのではないかと思う。
古来から両性具有への憧憬は各地であったらしいし。
そしてそれは、現在にも続いている。
既出のガルボ、玉三郎もそうだし、美輪明宏、そしてときに女装して踊った大野一雄、身近なところだとMana様(!)、オスカル!…

これ、考え始めると物凄い多方向にリンクしていきそう。
ということで、とりあえず、今日は寝ます。




過去記事に拍手下さった方、ありがとうございました!!

The Cook,The Thief, His Wife and Her Lover

.09 2011 雑記 comment(0) trackback(0)
昨日の夜のDVD鑑賞
グリーナウェイの「コックと泥棒、その妻と愛人」
おぉぉぉぉ…!!
凄かった…!!
特にラスト!ラスト!!ラストが!!!
あれは凄い。やばい。としか言いようが無い。
あのラストは、凄い(何回でも言ってしまう)
見終わった瞬間に「うぉぉぉぉ…」と思わず呻いてしまった…

ピーター・グリーナウェイの映画は初めて見たのだけど、かなり良い!!
特に、母のお勧めでもあったこの「コックと~」は、衣裳がゴルチエでどのシーンも素敵♪
そしてナイマンの音楽がまたまた本当に素敵!
なんかミスマッチさが昇華して絶妙なところにはまっているというか。
映像は、何だかどのシーンも心に残るくらいに、はっとさせられた。
色使いといい、小物使いといい、本当に美しい。

そして、人間って怖いなって思ってしまったw
アルバートの嫌悪の固まり、ジョージーナの骨に沁みる怖さ、でもこれら全てを思いついたグリーナウェイが、何より一番怖い…

「英国式庭園殺人事件」も見てみたい!



「山猫」

.16 2011 雑記 comment(0) trackback(0)
ガレットが美味しいお店を2つくらい発見。
以前も吉祥寺のうさぎ館とか凄く好きで良く行っていたけど、こっちでも見つけられて嬉しい!
そば粉のガレットは本当にいつ食べても美味しい。大好き。
でもその話をしたときに、たまたま周りに居た八人が八人ともガレットのことを知らなかったのには驚いたけど。

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先日、ヴィスコンティの映画「山猫」を見た。
指定映画館で行われている、「午前十時の映画祭」ってやつの上映目録の中にあったの!
過去の名作を、一週間交代で毎朝十時から上映するという素敵な企画。


ヴィスコンティはやはり素晴らしかった…
三時間の大作。
冒頭のシーン、山をバックにしたイタリア貴族の邸宅とその庭、そしてあの音楽だけで何故か泣けてしまうという…!(そんなの私くらいかもしれないけど;)
アラン・ドロンが大変若々しくて青々しくて良かった。
森茉莉の小説に出てくる青年達を思い出した…茉莉さん、アラン・ドロン好きみたいだったものね。
しかし主演のバート・ランカスターの渋さが!
かなり素敵な公爵様でした。
あの表情と雰囲気だけで全てを語ってしまうような存在感。
男は目と背中で語るんだよな。
そしてとにかく豪華絢爛なセット。
あの時代の貴族の贅沢というものは、今現代の自分には到底想像もつかないようなものなのではないかと思った。
撮影は、照明を使わず全て自然光だけで行われたそうで、だからラストの舞踏会シーンでもかなりの数の燭台、蝋燭が焚かれている。
その舞踏会の客役のエキストラには、本物のイタリア貴族の末裔が結構混ざっているらしい!
だからあの雰囲気が出るのかしら…まぁヴィスコンティ自身が貴族様だしね。
1964年公開と思えない、ずっと色褪せぬ美しさ。
そして人間の世の儚さ、のようなものを同時に感じた。








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