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「とばり」千秋楽

.07 2011 山海塾 comment(0) trackback(0)
本当に偶然が重なって観ることが出来た、約一年半ぶりの山海塾公演。
黒藤院やソロなどは去年少し見れたけど、山海塾そのものは2009年5月の「卵熱」以来。

欲を言えば、新作の「から・み」も見たかった…!
けれど、その週は休みが無くて見にいけなかった。

いきなり休みになって、6日に急遽東京へ。
しかも始めは、当日券取れるかわからないし、ここまで急なのも何だし、疲れてるし、やめておこうかな…と思っていて、行くつもりは全然なかった。
「とばり」は初演の頃にも一度観ているし。
でも私が山海塾大好きなのを知っている方(しかも今までそれとなくお勧めしていた方)が何故か会場に問い合わせして下さり、そしてどうやらほぼ確実にチケット取れそうだよ、とのこと。
そしてその方も見に行く、ということだったので、じゃあ私ももう勢いで行ってしまえ!と。
凄くタイミング良いし、公演の日に丁度休みが重なるなんて本当に滅多に無いから。


そして東京に着いてまたしてもタイミング良く、私の前に窓口にいらっしゃった方が席を変えてくれと申し出たらしく、当日券にしてはありえない三列目の真ん中辺りというかなりの良席を確保。

二度目の「とばり」、本当に良かった…
前回観たときとメンバーさんも多少の入れ替わりがあるし、そして前回のときとの何よりも大きな違いは、私も踊っているということ。
あの頃は人生で一番踊ってない時期だったからなぁ。

もう…冒頭の暗闇の中から蝉丸さんが浮かび上がった瞬間から、余りの美しさに何故か辛くなってしまった;
後方からの6,600個の星々、舞台上の2,200個の星々、夜のとばりが降りてくる。
やはり感じるものは、正反対にあり対にもなる、片方が無ければもう片方も成り立たない各々の事象。
光と闇、生と死、恒久と刹那。
あと必然性。
何故だかわからないけれど、”こうでなければいけない”と思わせる説得力。
終演後は本当に言葉が出ませんでした。

(あと番外編だけど、見ている間に思った細かいこと……最後の数分間の楕円の中の群舞はかなりキツそうだな、と…。だってあれ、もうず~っと腹筋強化運動でしょ!;ついつい凄いなぁと思って凝視してしまった。そして蝉丸さんの呼吸の合図がとても格好良い。あれも演技の一部だ。そして天児さんの美しさに見惚れる。あと千秋楽だからか、カーテンコールでカラフルな薔薇の花弁が舞い落ちて来たのだけど、メンバーさん方八人の白い姿と相まって、なかなかシュールな光景で思わず微笑んでしまった。山海塾のカーテンコールは本当に格好良い。最後の最後まで魅せてくれる)


そして、何かが起こりそうだと思った予感も正しかったらしい。
また変化の波が来る。
やはり、流れが来たときに、いかにその流れに乗るか、その覚悟と勇気があるか、が重要かもしれない。

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LUNA

.06 2010 山海塾 comment(2) trackback(0)
手に入れた、「月 ~LUNA~ 小夜子/山海塾」

2010090610570000.jpg


山口小夜子
山海塾(滑川五郎、森田慶次(蝉丸)、高田悦志、緒方篤)

撮影/横須賀功光
振付・文/天児牛大

1986年2月14日第一版


とても良い状態の美本を、神保町の古本屋で手に入れることができた。

これは…大変なものを見つけてしまった。


仄かな月明かり。
終わりの無い空間なのか、限定された場所なのか。
釣り下がる肉体…
照らし出された女。
それは女神か妖魔か。

2010090611000001.jpg

美しすぎる…

2010090611020000.jpg



ベジャールと蜷川さんが帯にコメントを載せている。

 踊りは紙の上を通り過ぎる
 写真は無邪気に過ぎ去る瞬間を捕える
 しかし 時は罠を仕掛ける
 死のように 引き裂かれた肉体を狙う 
 肉体の美                        モーリス・ベジャール


 

今は亡きベジャール…
そして今は亡き小夜子さん。

時は無情にも流れ行き、真の偉大な人々は姿を消していく…

山海塾「とばり」

.30 2009 山海塾 comment(0) trackback(0)
今日で、この部屋で過ごす夜は一応、最後。
明日は雨か・・・


本日は山海塾。
実際のところ、踊りが面白い、と思えたのは山海塾のおかげ。
クラシックに一杯一杯で、よくわからなくなっていたときに、山海塾の舞踏を見て、もう本当に驚いて、何というか、こんなものがあったのか!という正にそれだった。

実際に舞台を生で見た方が、迫力も衝撃も何万倍も凄いので、映像ではわからない、伝わりきらないことが多すぎるけれど。
でもやはり美しい。

この「とばり」は去年の秋ごろ日本でも公演していた作品。
かなり静謐、且つ洗練された研ぎ澄まされたような空気が漂っている。
これはこういう雰囲気だけど、過去の作品ではもっとアヴァンギャルドなものもあったりするし、シーンごとによっても結構感じが違う。
舞台のセットも考えられていて、この映像だとわかりづらいけど、真ん中の黒い円盤には無数の星が浮かび上がるようになっている。
バックのホリゾントも星空になるので、暗転したときはまるで宇宙空間のようになる。
そして、このカンパニー、とても照明の使い方が上手い。
いつもはっとさせられる。



卵を立てることから~卵熱

.26 2009 山海塾 comment(2) trackback(0)
山海塾の公演 「卵を立てることから―卵熱」

2009052621580001.jpg



一つ先に書きたいことがある。
それは何かというと、「生卵が立つ」ということ。

これはコロンブスの話とはあまり関係がない。
コロンブスは殻を割って、卵を安定させて立たせたのだし。

そうじゃなく、生卵は自立する。
野口三千三さんの著作を読んだことがある人はわかると思う。
そもそも、野口三千三、というのが誰か、というと、野口体操を作った人。
野口体操は、舞踏、そして山海塾にも、多大な影響を与えているらしい。

その野口さんは、ポン、と置いてすぐに卵を立たせることができるそう。
そこまでになるのはなかなか難しいけど、本当に、誰にでも、生卵を立たせることはできる。
現に、家の六歳の妹でも出来た。
時間をかけて、ゆっくりとバランスをとっていくと、ふっと、卵は自立する。
その、卵を立たせるまでの妙な集中力、空っぽになった頭の中。
卵と自分との、対面、対話。
そして、自立した卵の、不思議な安定感。
素直に、何の力もなく立っているかのような印象。

多分それが、この作品の下敷きになっているのではないかと思う。



天から降り注ぐ、一筋の砂と水。
音楽が止むと、水音だけが空間に響く。
暗闇の中で、何の音だったか、と記憶を辿る。
遠い昔の記憶。

生と死。
始まりと、終わり。
そんなものを、強く感じる。
胎内。もしくは、そのもっと前。生命の始まり。
そして、死んだあとに行くであろう、どこか。




これは、是非とももう一度見たい。
本当に素晴らしい作品。
DVDも出ているのだけど(そして山海塾のDVDは、これきりしかない)、映像では伝わりきらないものが多いと思う。
やはり会場であの空間を共にするのと、そうでないのとではかなりの差があるので。

今年はあまり日本での公演がないのが残念。
もっと見たい。
そして、やはり大洋さん、今回の公演が最後だったのだそう。
もう山海塾での大洋さんを見ることができないのは残念だけど・・・
でもこれからも、面白い企画やダンスを作り出してくれることと期待している。



金柑少年

.08 2009 山海塾 comment(0) trackback(0)
山海塾「金柑少年」

2009030820480000.jpg

まず、山海塾の公演ポスターはいつも本当に美しい。
凄く好きなので、公演チラシは集めて部屋に飾ってる。



今回は、若手さんのみの舞台で、1978年初演の「金柑少年」リヴァイバル公演、ということだった。
天児さんも、蝉丸さんも出ないので、どんな風になるのかな?と思っていたけれど、やっぱり、本当に本当に良かった。
演出自体は、78年の初演当時とほとんど変わっていないという話だったけど、なるほど、と思った。
どことなく、アヴァンギャルドな香りがする。
特に、最近の作品「とばり」「かげみ」を観たあとだから、余計にそう感じたのかもしれない。
最近の作品より、土臭さというか、何とも形容のつかない暗さとか、そういうものが強く感じられた。
私は最近の作品から入ったけれど、こっちの雰囲気のものにもすごく惹かれる。


まず、舞台には壁。
魚の尾ひれが無数に塗り込められている。
下手前には砂。
その後ろには、透明な板に赤い円が描かれたものが下がっている。

山海塾の舞台は、まず始まり方から普通の舞台とは違う。
客席まで真っ暗になり、闇に包まれる。
その闇の中でどこからともなく緊張感が生まれて、舞台上と客席が一瞬、一つになる。
そして、静かに、それは始まる。

掴みから圧倒的。
あぁ、山海塾だ!と思う。

顔を隠した四人の踊り手。
顔が無いと、どことなく、植物とか、そういう自然的なものを感じる。
意志が無いような、あるのだけど、存在していないような。
無意識に動いているかのように見えて、でも計算された動きであるという、なんだか宇宙的な、妙に視野が広いような感覚になる。

そして孔雀。
本物の孔雀が舞台上に出てくる。
このシーンについては、公演のあとの対談で、天児さんがおっしゃっていたことがとても強く心に残っている。

<最初、孔雀は抱かれ、拘束され、身動きができない。
 不自由な状態にいる。
 ところが、ある瞬間から、その立場が逆転する。
 孔雀は放たれ、自然の、意思のままに動く。
 逆に、踊り手は、舞台上で、振り付けや決められた空間の中で拘束されている。
 そこに、嫉妬が生まれる。>

このようなことを考えて作品をつくり、振りをつくり、演出するなんて・・・
本当に素晴らしい人だ。
このカンパニーに、そしてこのパフォーマンスに出会えた事を、本当に良かったと思った。

そしてかなり全裸に近い四人の踊り手。
前々から思っていたのだけど、山海塾の舞台には、一種の色気を感じる。
それは、公演の間流れたゆたう音楽と同じように、あの舞台上にずっと漂っているものだと思う。

何に似ているかといえば、大昔からずっとあった美学、例えばミロのヴィーナスのような彫像や、古来から造られつづけた仏像、そして磔にされたキリスト、そんなものに感じる色気と、かなり似通っている、あるいは同質のものなのではないか、と思う。
古寺で仏像を前にしたとき、そしてヨーロッパの中世の教会で宗教画を見たとき、そんなときに感じるものと、山海塾の舞台を観たときに感じるものは、個人的にかなり近いと思う。


微かに漂い続ける緊張感の中で、舞台はクライマックスへと進む。
壁が開いている。
開いた中には、青い空間。
天井から朱い逆三角形が下がり、その先端には一人の踊り手。

もう、これを見た瞬間の感覚は、感動という言葉で語るには余りにも勿体無い。
暗い舞台の中での、空間の青さ。
そして、三角形の朱さ。
踊り手の神々しいほどの白さ。



本当に良い舞台だった。
願わくば、初演当時のものも見てみたい。


そして7日は、終演後にパフォーマンストークとして、天児さんと蜷川幸雄さんの対談があったのでした。
これもなかなか興味深い内容だった。
さっき書いたような、舞台のことはもちろん、他にもいろいろ。
例えば、初演当時は、舞台装置のマグロの尾ひれを築地で無料でもらっていたんだけど、途中から怪しまれて一つ五円になっただとかw、それが完全に乾かないうちに舞台の日になってしまったので、なんとなく劇場全体が生臭くなっていたとかw
ますます初演が気になるw
あと、そのころは孔雀も天児さん家で飼っていたらしい。
何にしろ、蜷川さんも言っていたけれど、生き物を舞台上に出すなんてことを思いつき、そしてそれを現実にやってしまうんだから、本当に凄い。


次はいわきでの公演「卵熱~卵を立てることから」。
この作品も見たことがないので、とても楽しみ。





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